「天使のにっと」では,
プルオーバー、ジャケット、スカート、ワンピース、チュニックをお作りしています。
81種類の色からお選び頂けます。

メリノウールは秋冬に最適。絹・綿は四季を通して着用可能。
編み機とともに重要な講習が、CADの講習です。
編み機とCADがホールガーメントの両輪を成しているともいえるでしょう。
それまでコンピュータといえば、ワープロ、表計算、経理事務でしか使っていなかった私には、CADは大きな難関でした。
電子パターンに、決められた法則で描画してゆけばいいのですが、なかなか手が動かず、ディスプレイをじっと見つめたままでした。
前身頃の柄は、前から見たそのままのイメージで描画してゆけばよいのですが、後見頃の柄は、前から見た場合の背面の柄なので逆に描画してゆくので、わかったような、わからないような、頭が混乱してしまいました。
さて、こうして講師の方の指導のもと、なんとか完成したデータを、編み機で編成できるのかCADがチェックしてくれるのですが、はじめての私が作成したデータが一回で完成する訳もなく、何度も修正し、やっとでデータが完成しました。
これが、あっと言う間に編みデータになるのには驚きでした。
基本となる画像データ。柄をのせた画像データ。これらが合成されて、複雑なニットデータになります。あとはこのデータをリムーバブルディスクを介して、編み機に持って行けば、ニットが編めるのです。
自分が作ったデータが、形となって編み機から出てきたときは、本当に感動しました。モノづくりの入り口に、やっとで一歩を踏み込めた気がしました。
さて、いよいよ講習が始まりました。
講習ルームや使用する機械の説明の後、デザインセンターの方々が編みたてておられる部署の見学に行きました。
私が幼少の頃、母は編物が好きで、家には横編み機がありました。正月や、学校の行事に間に合わせる為、私が寝に行ったあと、夜遅くまで母は編物をしていました。ジャー、ジャーという編み機を動かす音を布団の中でよく聞きながら寝たものです。
編み機といえばそんなイメージしか持っていなかった者にとってはビックリ!まず大きさと、その編んでいるスピード。すさまじいまでの速さでニットが作られてゆきます。そして実際にセーターがその形のままに出てくるのです。
機械の上にセットされている数本の糸が、機械の中に通され、それが下のほうから服となって出てくるのですから。それもわずか1時間ほどで。
このホールガーメントの編み機を、海外では「東洋のマジック」と称しているらしいのですが、さすがにその通りの機械です。これを可能にしたのが、4枚ベットという構造。家庭にある編み機と同じような針の並んでいる台(これをベットといいます)が、前に2段、後ろに2段、合計4枚並んで編みたてています。前後のベットで編地を受け渡ししながら柄を作ったり、袖と身頃を接合したりしてゆきます。この技術があってこそ、袖と身頃を同時に編みながら、裏目や、振り柄、増やし目、減らし目などを編むことを可能にしているのです。
こんなに素晴らしい機械を使ってニットを作れるとは。講習への取り組みにも益々力が入ってきました。
近頃、桜は以前に比べて早く咲くようになってきていますが、2002年の春は、特に早かったように記憶しています。私が島精機さんのある和歌山へ研修に向かったのは、京都で早い花見を済ませたこの年の春でした。
研修?
そうなのです。島精機さんでは、編機の購入先を対象に、講習を実施しておられます。実務経験のある方で約2週間。私などまったくの未経験者には、1ヶ月~1ヶ月半の講習期間で編機を稼動できるまでにしていただけるものでした。
講習内容は、ニットの基本から、コンピュータを使ったニットデータの作成(CAD)。そして編機の操作方法まで多岐にわたるものです。
でも、不思議に思いません?編機の操作方法を講習してもらえるだけでなく、
編地の基礎からデザインの仕方。編み立てから洗濯、糸始末、セットの方法まで、服を作る全てのことを教えてもらえるのですから。まあたとえて言うなら、包丁を買って、その包丁のメーカーに料理の方法を教えてもらい、料理人の修行をさせてもらうようなものです。
そしてさらに驚いたのは、機械製造会社なのに、トータルデザインセンター部門があり、そこで毎年数百着の新しいデザインのニット製品が作られていることでした。編機の技術進歩のためだけでなく、ニット業界に広く編み技術を広め、日本のニット業界の国際競争力を向上させる目的もあるらしいです。
そのトータルデザインセンターでの講習を受けるため、和歌山に赴いたのは4月上旬。もうすっかり葉桜になっていました。初日は講師(もちろん島精機さんの社員の方です)や、一緒に受講する方々の紹介、オリエンテーションで終了しました。
講習を終え、宿舎であるマンションに帰り、“さあ、これからのひと月余り、
懸命に勉強しよう“。希望と不安を胸にしながら部屋の電気を消したときには、夜中も2時を過ぎていました。